今の高校では古文・漢文という科目が無くなり、「言語文化」という科目になっている様です。
長男の言語文化の教科書を見ると、古文・漢文だけでなく、現代文も入っていて、「現代の国語」との棲み分けはどうなっているんだろうな?と疑問を持っているのですが、深堀はしていません。
1学期は現代文でしたが、2学期から古文に入る様なので教科書を見てみたら、最初に出て来るのが宇治拾遺物語の「児のそら寝」でした。
この話は私も高校の古文でやった題材でした。その時は何か変な日本語で書かれていて文法がどうのこうので面白く無いなと思っていたのですが、今読むと実に面白い話でした。
字面だけ追っていると面白さが分からないのですが、情景を映像として思い浮かべて、児の心の動きを想像しながら読むとなかなか愉快な話でした。この場合の映像はアニメや実写では駄目ですね。紙芝居がぴったり来ます。
この物語を書いた人も、同じ様に頭に絵を描きながら物語を書いたのかななどと想像してしまいました。
高校の時は、古文なんて何百年も前に書かれた苔の生えた様な古臭い話というイメージで捉えていたから詰まらなかったんでしょうね。
物語を書いた人は何百年も前に亡くなった過去の人ではありますが、その人が生きていた時代には、私たちと同じ「今」という時代を生きていた人間なのです。
そんな作者が「むふふ」とか笑いながら面白い話を書いた訳ですよ。数百年の間に日本語の文法や言葉の意味などが変わってはしまいましたが、その壁を乗り越えれば、私も作者と同じ「むふふ」が味わえるんだなと考えると、わくわくしてしまいます。
今になって古典の面白さが理解出来てきた様な気がして来ました。
0 件のコメント:
コメントを投稿