洗濯物も干し終わり、少しのんびりしていたら、玄関のチャイムが鳴りました。我が家に宅配便が届くには半端な時刻。普段はもっと早いか遅いかです。何かなと思い外に出てみると、おじさんが2人立っていて、
「私たちは聖書を勉強しているものなのですが」
と言ってきました。キリスト教の勧誘ですね。
お相手をする選択肢もあったのですが、株価を見ている方が楽しそうなので、
「興味無いので」
と今回は、お断りしておきました。
ただ、私は聖書に興味が無いかと言えば、実はあったりします。
最初に引っかかるのが、イブはアダム同時に作られたのか、それともアダムの肋骨からイブを作ったのかという所。これは聖書の中に両論併記されていて、どう解釈したら良いか悩む所です。
もう一つは、アダムとイブの息子のカインが荒野に出た後、人と出会えたのはなぜか。暗黙の内に聖書は他に想像された生物から人間が出来たという進化論を肯定している様にも解釈できるのですが、どうなのかといった所です。
この辺が気になって、どうも聖書の勉強というのが進みません。笑
そこで以前、家に来たエホバの証人の人に聞いたことがあったのですが、
「良く聖書を勉強なさっていますね」
とおだて言葉の後、私の質問に明確な回答はせず、自分たちのしたい話をし始めた事がありました。彼らの目的は神、キリストによる救済を伝える事であり、信仰を広める事が目的な訳で、私の様な不信人者が持つ疑問に答える事は興味の対象外なのでしょう。という事で、お話しをした所で接点を見出す事が出来ず、双方に取って時間の無駄だと悟りました。
まあ気が向いた時に来たら相手をしても良いんですがね。
ちなみにエホバの証人の場合、家庭訪問は「開拓奉仕」と言われていて、これをやらないと神との距離が遠ざかり、霊的な力が弱まると考えられている様です。だから子供も連れ歩いているんですね。連れ回される子供が可哀そうだと評する人がいますが、彼らからすると、子供たちにも開拓奉仕をさせることで、神との距離が近づき霊的なパワーを与える事が出来る子供たちのための行動となります。世の中には色々な考え方があるんですね。
その後、ポストを見ると宗教っぽいチラシが入っていたので、さっきのキリスト教徒かなと思って見たら、富士大石寺とか書いてありました。旧創価学会関係ですね。上層部の対立で有難がっていたお寺が悪者になったり、末端の信徒からすると大変な世界だなと思ったりします。
という事で、今日は宗教と縁のある一日でした。
とまあ、ここまでは午前中の話なのですが、午後になったら固定電話のベルが鳴りました。
出てみると、ざわざわと騒がしいコールセンターっぽい環境音。それだけでどんな相手か想像が付きます。相手の言葉を遮る様に
「営業ですか?」
と訊いたら、いつものパターンで
「違います」
との答え。
「では買い取りですか?」
と訊いたら
「電話番号を間違えました」
と言って切ろうとして来ました。こっちが誰か分からないのに電話番号を間違えた事が分かるエスパー的な能力の持ち主なのか、正体がバレたので見切りを付けようと考えたかのどちらかでしょう。笑
念のため
「用件は何だったんですか?」
と迫ったら
「カメラとかの不用品があったら買い取りたいと思いまして・・・。」
それってやっぱり買い取りじゃない!笑
もう少し遊ぼうかとも思いましたが、
「売るものはありません」
と言ってこちらから電話を切りました。
こちらから、買い取りかどうかを訊くと電話を切ろうとするのは、マニュアルに書いてあるのか、オペレータの独自判断なのか興味があります。
この手法、早く電話を切りたい時には有効かなと思います。でも暇つぶしに相手をしたい時には向きません。そんな時には、どの様な話をして持たせるのが良いか考えておきたいなと思います。
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